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【アラベスク】  第15章 薄氷の鏡



第2節 似て非なる [12]




 あんなヒステリックで気性の荒い女と一緒だとは思いたくない。どこか違う面だってあるはずだ。
 例えば、そうだ、あの時の自分には里奈という親友がいたが、彼女にはもともと誰もいないではないか。自分のコスプレ願望を打ち明けられる友など、彼女に居るのだろうか? 見たところ、いつも一人だ。誰か親しい同級生と一緒にいるところなど、見たこともない。まぁもっとも、頻繁に顔を合わせているというわけでもないのだが。
 私には居た。あの時は澤村の事が好きで、その事を私は里奈に打ち明けていた。
 今は、親友などとは呼べないが。

「私は山脇先輩の事が好きです。誰よりも、世界中の誰よりも山脇先輩の事が好き」

 やっぱり彼女は、瑠駆真の事が好きだったんだ。それも相当入れ込んでいる。
 陶酔したような瞳を思い出す。美鶴の事を悪魔だのなんだのと罵倒した言葉を思い出す。
 彼女にとって、瑠駆真とのキス写真は許せなかっただろう。私の存在自体目障りだという気持ちもわからないでもない。
 だけど、あそこまで罵倒される必要があるのか?
 そんな美鶴の耳に、緩の非難を込めた声が響く。

「そうやって私の事も山脇先輩の事も弄んでいるのですわ」

 弄んでいるワケじゃない。
 だか美鶴には、その言葉は単なる言い訳でしかないような気がする。
 中途半端な態度で瑠駆真や聡に迷惑を掛けたのは事実だ。

「私は山脇先輩の事が好きです」

 胸を張って答えた緩。もうどうにでもなれという開き直りもあるだろうが、あの言葉を告げた緩は、自分の恋心がやがては美鶴の口を通して校内に広まるであろうという事を覚悟もしていたはずだ。
 自分には、まだその覚悟ができていない。
 美鶴は一度息を呑む。
 ここも似ている。
 恋心を知られたくない。知られて嗤われたくないという思い。
 同じ、なのか。
 愕然とした心持のまま霞流邸を後にした。何もお構いできませんで、ご迷惑ばかりお掛けして申し訳ないという幸田の声もほどんど聞いてはいなかった。
 胸に湧いた言いようのない感情を振り払うように歩き出す。だが、モヤモヤとしたものは消えない。

「人の純粋な恋心なんて、あなたのような軽薄な人間には理解できませんわ。絶対に」

 私は、瑠駆真の気持ちにも聡の気持ちにも曖昧な態度しか示せなかった。好きな人がいたのに、それをなかなか告げる事すらできなかった。

「美鶴、わからないよ。君は、僕の事をどう思っている?」

 切なさを織り交ぜた甘い声で瑠駆真は言った。

「瑠駆真じゃない。でも俺もダメ。何なんだ? 美鶴、お前は俺たちを、俺をどう思っているんだ?」

 苛立ちを込めて聡は吐き捨てた。

「美鶴、君は男というものを少し(あなど)ってやしないか?」

 そんな事はない。そんな事をしたつもりはないけれど。

「そのわりにはこうやって簡単に許してしまうんだな」

 ゾクッと、背中に寒気が広がる。

「男関係でさんざん浮名を流しておきながら」

 違う、違うっ! 私はそんなつもりじゃない。そんなつもりじゃなかった。
 だが、それでも結果として、美鶴は瑠駆真からも聡からも逃げる事はできなかった。
 もっと本気で抵抗していれば、逃げられたのではないのか?
 そんな事はない。自分はできる限りの抵抗はした。ただ、相手は男だ。敵うワケがない。瑠駆真や聡があんなに本気で力を出せば自分には。
 本気で力を出せば。

「わかるはずだ。僕がどれほど本気かって事が」
「無理じゃない。絶対に君を手に入れる」

 自分には、それほどまでに固い想いがあるのだろうか?

「君はそれほど霞流を想ってはいないのか?」

 そんな事ないっ! 私は霞流さんの事が好きなんだ。
 でも、でも、自分は瑠駆真や聡のような行動が取れないでいる。そして、金本緩のように、開き直る事もできない。

「あなたみたいに、人を見下して小馬鹿にして楽しんでいるような人間とは違います。私は純粋に、一途に山脇先輩を想っています」

「そんな事ない」
 擦れる声で呟く。
 あんな女など相手にするな。あんなヒステリックで幼稚な女と自分を比べる必要はない。
 そう言い聞かせるのに、なぜだかどうしても気になってしまう。
 自分は、純粋ではないのか? 堂々と宣言もできない自分の恋心は負けているのか? 瑠駆真にも、聡にも、金本緩にも?
 違う、そんな事はない。私だって霞流さんが好きだ。誰にも負けないくらい好きなんだ。
「嗤われる」
 寒空の下、美鶴は言い聞かせるように口にする。
 負けてはいけない。でなければ、今度は私が金本緩に嗤われてしまうかもしれない。
 駅へ向って坂を下る。途中ですれ違う品の良い女性。微かに漂う香りは甘く、だが毳々(けばけば)しくもネチッこくもない。薄暗くなる周囲に、それぞれの家の灯りが暖かく浮かぶ。どこからか美味しそうな香り。今日はビーフシチューだ。
 だが美鶴には、自分を迎えてくれる温かな手料理など無い。量販店で大量に購入したカップラーメンが今夜の夕食。
 車道を一台が上っていく。それを追いかけるように振り返る。
 丘の上の霞流邸。もう小さく、すぐに見えなくなるだろう。
 霞流さん、留守だったな。
 好きな人の家に行ったのに、会うこともできない。
 私、なんで霞流さんの家になんて行ったんだろう?
 考え出すと、胸に息苦しさが広がった。逃れるように前を向く。
 このままじゃいけないんだ。このままじゃ。
 坂に伸びる影が、ゆっくりと闇に取り込まれ始めた。







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